なぜわたしたちは0歳児を授かるのか

フランス・ドゥ・ヴァールは「共感の時代へ」でこう語っています。
「共感の起源を子育てに求めるのは理にかなっているように思える」

先日、あるきっかけがあり、フランス・ドゥ・ヴァールと同じことを言っている人の話を聞きました。
松居和氏です。

松居和氏は、福音館書店の創業者である松居直氏の息子さんだそうです。尺八奏者としてジョージ・ルーカスの「ウィロー」、スピルバーグの「太陽の帝国」をはじめ多くのアメリカ映画に参加するなど多彩な経歴を持ち、現在は、埼玉県教育委員会委員会の委員長をつとめられているそうです。

松居氏は、彼の著作「なぜわたしたちは0歳児を授かるのか」の中で、「すべての人間は幼児によって引き出されるべき善性、優しさ、親心を持っている」と語っていました。「子育てをどうするか」という大人の視点からの議論はたくさんありますが、幼児の存在がヒトを「親」として育てるのだという発想は、視点を大きく切り替えさせるものであり、たいへん心を打つものでした。

そして、松居氏は続けます。
「ところが、親たちが束縛や犠牲を嫌い、子育てを経済原理にもとづくシステムに預けてしまうことによって、善性、優しさ、親心が育たなくなり、その結果、社会に優しさと忍耐力がなくなってしまう」と。

アメリカ連邦議会では、犯罪を減らすため母子家庭から子供を取りあげ孤児院で育てよう、という法案が提出されたことが過去にあったそうです。3人に1人が母子家庭のかの国では、犯罪比率に対する刑務所の維持費よりも孤児院の経費の方が安いという経済論理から、このような法案が出されるのでしょうか。

優しさと忍耐力がなくなってしまった社会では、人は経済論理で動き、欲、競争、勝ち組(リスクを他人に押し付ける)といった思考が社会の原理になってしまうのかもしれません。

これからの、社会原理は、どこに行くのでしょうか。

「共感」を喪失させてしまった現代。
幼児に、目を向けるべきなのかもしれません。

 

餌を与えられたサル

人類学者のジェーン・グドールは、チンパンジーが道具を使うこと(草の茎を使いアリを捕る行動)を発見し、道具の使用はヒトだけだと言われていた定説を覆したことで有名です。実験室という作られた空間ではなく、野生のチンパンジーの群れの中に入り込んで観察を続けるというという彼女の研究方法(フィールドワーク)は、敬意とともに、学会に大きな影響をもたらしたそうです。

彼女のもうひとつの発見が、チンパンジーのカニバリズムの研究です。ヒトに最も近い遺伝子を持つチンパンジーが群れの中で起こす仲間同士の殺しあいや子殺しの事実は、戦争をする動物としてのヒトの遺伝子につながっているのだと解釈されました。

ところが最近になって、この残虐性は、“ジェーンが研究対象としている群れでのみ起こる特異な現象”であることがわかってきたそうです。他の群れでは、仲間同士のこのような残虐な行為はほとんど観察されないというのです。

では、何がジェーンのチンパンジー達に残虐な行為を起こさせたのでしょうか。ジェーンの群れと他の野生の群れとの違いは、「餌付けされていたこと」だったそうです。ジェーンは、野生のチンパンジーの群れに入り込むために、バナナを与えていたのです。

豊富とはいえない森の資源で生きてきた野生のチンパンジーの群れでは、食べものを分け与える行為がしばしば観察されるそうです。それに対して、餌付けされた集団では、協調が崩れ、殺しあいやカニバリズムにまで駆り立てる“何か”が働くのだと考えられています。

餌を与えられたももうひとつの群れ。現実のヒト社会も、糧がどこか上方から降ってくる感覚の集団となっているのではないでしょうか。

フランス・ドゥ・ヴァールは「共感の時代へ」の中で、ヒトは本来 “Empathy(共感)”によって社会を構成する動物であると主張しています。そして、この特性はヒト特有のものではなく他の動物にも見ることができ、進化の過程に深く根ざした根本的な能力であることを、多くの事例や研究成果の裏付けをもとに説いています。そして、「それならば、最も高度な動物であるヒノの社会は、「共感」をもとに組み立てられるべきである」と主張しています。

今の社会で求められていることは、降ってくる糧を奪い取るという競争原理の中で勝ち抜く知恵ではなく、「糧(価値)を自ら生み出す集団」という感覚かもしれません。