マンガ駆動設計超上流演習発表会

奈良先端大と大阪芸大との超上流合同演習の発表会が,12月18日無事に終了しました.

この演習授業は,システム開発の超上流工程に,漫画の構成論の技法の適用を試みています.

例えば,「ペルソナ」ではなく「キャラクター」を設定します.そもそも「ペルソナ」とは演劇でその役割になりきることですが,既存の様々なペルソナ手法を試みても,設定したペルソナの振る舞いや考え方になりきるのはなかなか難しいものです.
一方で漫画のキャラクターでは,例えば,「鉄腕アトムだったら,こんな時にはこのように行動するはずだ(例えが古いかな)」とか,「のび太だったらこうしちゃうよね」といったように,過去に読んだ具体的なストーリーは思い出さなくても,そのキャラクターの行動やさらには声までも,深く浸み込んでいるものです.

授業の中で,実際の漫画家の先生にキャラクター設定とストーリーの講義をしていただきました.シチュエーションを設定した上で,キャラクターの身長,体重,兄弟の身長,体重といった「外形(漫画を描く上では外形が重要)」を具体的に設定していきます.例えば,SFと設定した上で,3歳年上の姉よりも背の低いずんぐりとした弟を主人公とした途端,そこから,なにやらストーリーが自動的に浮かび上がってきます.

また,構成を考える際に,ラストシーンが非常に重要な要素であり,シチュエーションとキャラクターなどを設定した上で,ストーリーを考える際,最初に,ラストシーンを思い浮かべるそうです.例えば,誰がどのようにハッピーになるのか.「読者自身のストーリーは,漫画のラストシーンからはじまるのだ」と言うインタビューをした漫画家の先生の言葉は,ITサービスを考えて提供する我々としても非常に重要な視点だと思いました.

さて,今年は4チームが構成され,パナソニックさんのご協力の元,「パナソニックが写真文化を作るとしたら」をテーマに超上流工程に取り組みました.授業成果展覧会では,ポスターセッションと各チームのプレゼンテーションを行いました.

結果,パナソニックさんからは,非常に高い評価をいただき,年明けに,早速,企画部との”具体的な話し合い”のオファーをいただきました.

もしかしたら,授業で出たアイディアが実際の製品や新しいサービスにつながるかもしれません.

乞うご期待です!

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奈良先端大・大阪芸大合同 超上流工程演習発表会のお知らせ

奈良先端大と大阪芸大で行っている超上流工程演習の発表会のお知らせです.
【日時】2015年12月18日 13:00 – 17:30
【場所】あべのハルカス24F 大阪芸大スカイキャンパス
今年度は,パナソニックさんのご協力を得て,ナソニック株式会社様のご協力を得て、「パナソニックが写真文化を変えるとしたら」をテーマに,4つのチームがシステム要件の開発に取り組みました.
各位,お誘いの上,是非,ご見学よろしくお願いします!

展覧会案内2015

「土地と文化に対する感情と責任があるのです」

横浜美術館で開催されている「蔡國強展:帰去来」を観に行きました.

この展覧会は,2015.7.11から2015.10.18まで開催されているそうです.
会場の入り口(チケットコントロールの手前なので写真可)で来場者を待ち受けていたのは,今回の展覧会のために制作された「夜桜」という巨大な作品でした(写真1).

夜桜
写真1. 夜桜

また,本展覧会のポスターに掲載されている作品は,「壁撞き」という作品です(写真2).この作品は,99体のオオカミがガラスでできた壁に突き当たっては戻りを繰り返している様を表現した作品でした.説明では99という数字は道教で「永遠」を示しており,ガラス,すなわち,見えざる壁に挑み続けるもそれを超えられない永遠を表象しているようでした.

蔡國強展:帰去来ポスター
写真2. 蔡國強展:帰去来ポスター

 

この展覧会では「夜桜」含め8点の展示がありました,そのうちの5点は,今回の日本での展示のために,会場である横浜美術館で製作された作品だそうです.
また,「春夏秋冬」という作品は,驚くほど繊細な白磁が素材として使われていましたが,これは,彼の故郷である福建省のもの,そして,「壁撞き」の作品にあったガラスの壁は,かつてのベルリンの壁の高さと同じだそうです.

会場では,横浜美術館での製作風景を含め,それぞれの地での文化や社会を強く意識してきた彼の作品の解説とインタビューのビデオが流れていました.
私は,火薬を使った彼のインスタレーションの迫力に見入っていましたが,彼がビデオの中で語っていた言葉が耳を通り抜けた瞬間,脳天を直撃されたような気持ちになり,その言葉を再度確認するために,ビデオを2回観ました.

彼は,
「土地と文化に対する感情と責任があるのです」
と静かに,そして笑顔で語っていました.

彼は日本に留学していた経験があるため,インタビューは少々中国訛りのある日本語で語っていました.そのためか,主語が聞き取れませんでした.おそらく主語は「私は」なのだろうと思うのですが,私には,「私達には」に聞こえました.

「私達には,土地と文化に対する感情と責任があるのです」

私達は,私達の土地と文化に対して,どのような感情を抱いてきたのでしょうか.そして,それらに対して「責任がある」と胸を張って,笑顔で言えるのでしょうか.

会場を出ると,台風による影響か,重く厚い雲が空を覆っていました.

 

 

 

著作者性が抱える自己矛盾

東京オリンピックのロゴに関して,盗用か否かが問題となっている.
http://www.sankei.com/world/news/150807/wor1508070008-n1.html

グーテンベルクが印刷技術を発明する以前,人々は,それが誰によって書かれたものかに関心を払わなかった.創作は社会的な奉仕でもあり,創作物に触れるためには,多大なコストを払わなければならなかった.

コピーライトという概念は,複製技術と消費ルートとの発展によって生まれた.「それは私のものである」という所有の主張である.

その複製技術は,コピー機の発明を経て,今では,音楽でも絵画でもプログラムでも,マッシュアップすることで即時的に創作できるようになった.

このように,グーテンベルクから生まれた複製技術がコンピュータの出現によって著しく発達した結果,人々は,”私的努力によって創作することが重要なことだ”とは考えなくなった.創作は個人の社会的奉仕からチームによる活動,すなわち,既存のアイディアのマッシュアップという仕事に引き渡された.

コピーライトという所有の主張は,それを生み出した複製(マッシュアップ)の技術の発展によって,創作における著作者性,すなわちオリジナリティーを否定するという自己矛盾を抱えている.

ところで,「本当のオリジナリティ」というものは,はたしてあるのだろうか.本当にオリジナルな知的活動があるとすれば,それは,一般には,格子に施錠された特定の病室の中に見出されるものであろう.

今,ここに書いている文章も,完全なオリジナルな考えではなく,所詮は”誰かの考え”の寄せ集めに過ぎない.脳は社会的なものである.誰かの考えに影響を受けずにはいられない,という以前に,人は積極的にお互いの考えをコラボレーションしようとしているのである.人々は,社会を維持するために,協調し,お互いが信頼できるように,経済活動というものを発明し,ミラーニューロンは発達してきた.

しかし,社会的なイノベーションの多くは,特異な思考から生まれ,パラダイムを変えてきた.社会というシステムが停滞しないためには(システムの停滞とは,すなわち”死”である),変化が必須の条件である.

コピーライトという”所有の主張”は,社会システムの停滞を加速しているのかもしれない.

手続き記述と構造記述

「料理は理系だ!フローチャートで解説した料理本が「分かり易い」と評判に!」という記事が目にとまりました.

こちらです
http://entermeus.com/146590/

肝心の「豚汁の作り方フローチャート」は下記のようなものでした.

豚汁の作り方

ところで,これって,本当に”わかりやすい”でしょうか?

一般的に,このような手続き型の記述は「その通りやればできる(かもしれない)」けど,「わかりやすい」とは言えません(認知科学を学んだ方なら知ってますよね).

「わかりやすい」と思えるのは,「わかりやすい気がする」からなのです.なぜ,”わかりやすい気がする”のかと言えば,人の一般的なコミュニケーション手段である会話が運動性言語,つまり手続き型表現であるからです.ちなみに,運動性言語はブローカー野が担当していて,運動機能に近いところにあります(早い話が,人は,運動神経でしゃべっているようなもの).

一方で,”理解のための言語”はブローカー野から離れたウエルニッケ野にあり,これは,視覚野と1次聴覚野が交わったところにあります.つまり,視覚でとらえた実体構造に対して意味を付加することで理解が得られるのです.

豚汁の話に戻すと,フローチャートのような手続き記述は運動的にできるかもしれないのですが,なぜ,そのような作り方になるのかを理解するためには,対象を構造的にとらえる必要があります.

対象を構造的にとらえるモデリングの手法としてはデータフローダイアグラムなどがありますが,どちらかというと,システムの仕様を描くものです.

豚汁の作り方のような人の生産的活動を構造的に描くには,作る過程によって変化する対象物の状態の変化を表現することなどが必要です.

そこで,今回皆様にご紹介するのは(おや? セールストークになってきたぞ??)豚汁の作り方も構造的に表現することができる「PReP (プレップ)モデル」になります.

こちらが,その記述結果です.

豚汁の作りかた(PReP)

「火の通りにくい野菜を先に煮込む」といった手順の意味がわかりますでしょうか.
また,図の左側を見ていただくと,調理をする人のインサイト(本音)が吹き出して書かれています.豚汁を作るときのリスクが,このような作業者のインサイトを考慮する必要があります.

さらに,概念を構造的に記述すると,描いたプロセスモデルは,データモデルにつながり,システムスコープと要件定義書を出力することができます.
必要な道具(システム)や,それらの求められる機能が一覧いただけると思います.

豚汁の作りかた(システム要件)_ページ_1

 

この,システムスコープ・要件定義書の自動出力は,Microsoft のVisio(ver. 2013)のAdd-in機能を利用して実装してみました.

ご興味のある方は,こちらへ!

PReP modelとツールに関するお問い合わせ

(宣伝でした)

 

大学で教えるということ

そう言えば,2006年に東工大でPBL(当時はそうは呼んでいなかった)を始めて今年でもう9年目.来年で10年!(歳とる〜)
最近は,猫も杓子も(おっと,失礼)PBLだの,(形だけの,おっと,失礼) デザイン思考だのワークショップだのをやっているので,ちょっと辟易してきたなか.

辟易してきたというよりも(ちょっと真面目な話をすると),「人は,今まさに学んでいる人から多くを学ぶ」つまり,教える側が,教えていることを”すべて知っている”と(本当は知っていなくても,そのような構えが少しでも出ると),学ぶ側は,教師が持っている「正解」(そんなものは無いのですが)を待ってしまい,「自分が学ぶ」という姿勢から離れてしまうのです.
生徒は正直です.
そのためにも,教える側自身が「生徒よりも一歩先んじて,今まさに学んでいる」という状態に常にいなければならないのだと思います.

私が大学1年の力学の授業(物理学科でした)で印象的だったのは,玉木英彦先生によるゾンマーフェルトの力学(300ページくらいの)でした.昨日まで高校生だったのに,いきなり,静力学です.ハミルトニアンです.まったくわけがわかりませんでした(あ,でも,試験で成績「A」でした(自慢です)).

玉木先生は「わかりやすく教えよう」なんてことはみごとに無かった,授業はぐんぐん進んでいきました.
それまで,高校の物理だけは得意(駿台模試でもいつも全国で5番以内(自慢です))だったので「物理なんてこんなもんさ」とたかをくくっていた私にとって,大学の物理のあまりの難しさ,というか,次元の違いに大きなショックを受けました.それとともに,自分が知っていたと思い込んでいた「物理」などというのは,爪楊枝の先くらいのものだと悟ったとき,その先にある物理学の世界がとても広く見え,感動したことを今でも強烈な感情とともに記憶にあります.

今,振り返ると,何を教えたら良いか分からず手探りで進めていた1〜3年目くらいときの授業(大学院のソフトウェア開発演習という授業で何をどのように教えるべきか悩んでいたとき)が,そのときの学生の反応を見ても今より良い学びの場を作れていたように思えます.

「初心不可忘」

さて…

 

 

参加型デザイン(SS2015 WG-SS ポジションペーパー )

6月15日〜17日に行われるソフトウェアシンポジウム2015(SS2015)のワーキンググループ-SS(ソフトウェアと社会)へのポジションペーパーを書いたので掲載します(おそらく,WG参加メンバのみへの公開となるため).

今年は,1999 年にドイツで開かれたワークショップの報告書 “Social Thinking – Software Practice” を題材に,「第一部 “Deconstracting” 所収の 4 つの論文を読み,その中で 自分がもっとも 興味を惹かれた論文についての感想または批評を Position Statement として事前に提出すること」ということで,James M. Nyce and Gail Baderの”On Foundational Categories in Software Development”を読んで,感想と問題提起(といっても,議論の視点のレベルですが)を簡単に書き留めました.


On Foundational Categories in Software Development
James M. Nyce and Gail Bader

この論文で取り上げている参加型デザイン(participatory design: PD)は,その発祥を1960年代の北欧に遡るようです.
マネジメント層と現場で働く人たちの立場が大きく乖離し,身分の差が著しかったスカンジナビア半島で起こった労働者運動がきっかけとなり,利害関係者を平等に巻き込みながら合意形成を図る,平等主義と民主主義とを重視する手法が模索され、それが参加型デザインと呼ばれたそうです。
この北欧での参加型デザインと一見すると似ている活動として,北米での,User Experienceアプローチがあります.
北米のモチベーションは北欧とは違い,80年代に入って,コンピュータの民生化(AppleのMacがきっかけ)に伴い,商品としてのソフトウェアをより多く得るための手法として生まれました.
ユーザが納得する商品を作りたい,それならば,消費者ををデザインの場に招いてワークショップなどを行い,一緒にデザインをしていったらいいのではないか,というアプローチです.
昨今,日本でも,「デザイン思考」と称するクリアイティブワークショップが産官学をあげて流行(文化的な背景はなく,北米の西海岸での第?次起業ブームの一周遅れの,あくまでも「流行」)のようです.

仕事柄,「参加型デザイン」に近いところにいるのですが,あらためて本論文を読んで,「問題を解く」ということの,もしかすると,かなり根本的・本質的な視点について,もう一度,きちんと考えなくてはいけないのではないか,と思いました.
「我々は,何のために,何を解こうとしているのか.何を解くべきなのか.解くことの社会的な意味は何か」ということが,本論文でも(結構しつこく)述べているように,社会・文化的な価値観や,当該文化でのコミュニケーションのあり方に大きく依存しているということです.
とすれば,なおさら,「我々(日本人)は,何のために,何を解こうとしているのか.何を解くべきなのか.解くことの社会的な意味は何か」を考える必要があると思いました.

受託開発では,解くべき「問い」はクライアントが与えてくれ,開発する側は,問いに対する「正解」を出せば良いという構図ですが,「定義可能な解くべき問いが存在しているという前提」,そして,それに対して「正解」を求めるということ自体意味が無いということは,誰もがわかっていることだと思います.
その一方で,弁証法的アプローチは,その背景となる社会・文化,そこに属する人たちのコミュニケーションのあり方に依存するというのは,とても重要な視点ではないかと思いました.

参加型デザインが成功するための条件として,公平な議論を可能とする文化的下地の必要性があると本論文では述べており,北欧の社会文化基盤が,それを可能としているそうです.
一方で,北米の文化は,売るために相手を説き伏せるための議論が価値があり,「真実(事実ではなく)」は何か,「言葉よりも実行で示すこと」に対する価値観(インディージョーンズを思い出しました)が北欧の価値観と大きく対比すると述べられています.
では,日本の価値観は何か?

可能性が感じられた事例として,エスノグラフィー手法によって事実(「真実」では無い)をみんなのものにする,ということが,公平な議論による北欧型の参加型デザインを成功に導く方法として興味を持ちました.

 

以上