設計とカタチについて

「ソフトウェア設計の本質は、開発過程全体で用いられる一貫した概念構造体の記述を実現することである。」(フレデリック・ブルックス, 人月の神話, 1975)
ブルックスが言っているように、「設計」とは、概念とその構造の定義である。そして、問題空間で定義された概念構造を用いて、要求空間と機械との関係を記述することである。
つまり、設計の本質をなす概念とその構造は、「どんなものを作るのか」を考える世界で定義され、定義した概念を用いて、「何を」と「どうやって」をつなげることになる。

とろこが最近、どうにも片付かないキーワードが引っかかっている。「カタチ」である。カタチが先行するということである。カタチ、すなわち「どうやって作るか」が先行するということは、「それが何か」は後から説明されるということである。
例えば、岸田からの引用。
「ソフトウェア以外の設計、たとえば建築設計や家具の設計においては、「どうやって作るのか」以前に、「どんなものを作るのか」すなわち意匠の設計がきわめて大切だと考えられている。
(中略)
構造化とは機能モジュール化のことだという解釈が一般に広く行き渡っているようだが、それは誤解である。プログラムが対象とする処理の意味論的機能のモジュール化ではなく、それとは無関係な意匠の構造化であった。そのあたりが、SASDやOO(オブジェクト指向)の方法論と構造化プログラミングの思想とを区別する本質的なポイントなのである。
シドニーのオペラハウスの設計は、「建物をどうやって作るか」という発想から生まれたものである。「概念設計」というコトバから連想されるのは、ソフトウェアの設計においてそうした「意匠」の設計とはいったいなんだろうかということである。」(岸田, ソフトウェアグラフィティ, 2012)

さらに、「カタチが先行する」ことを明快に述べているのが島田である。
「わかりやすいコトバで言えば「カタチを先に考える」あるいは「カタチを独立して考える」ということである。機能の分析や構造の選択の結果として、かたちが決まるのではない。かたちが選ばれてそれから構造や機能との調和が図られる方が、おもしろいものができるということを考えているのである。」(島田 出典を忘れた…)

ひとつのヒントとしては、意味の身体性という視点がある。
脳科学者である月本は、モノは、身体、もしくは身体の行動に対する機能(システムのアウトプット)によって意味を有するとしている。例えば、椅子の場合。われわれの身体が、モノを椅子として現出させる。先にシステムがあるのではなく、身体が求める機能が先にある。システムの意味は、身体性に基づくということである。つまり、システムは、われわれの身体、それに基づく行為や欲求によって意味付けされてのちに、われわれに対して立ち現れる。すなわち、身体が、世界の意味を作り出しているらしい。

「たとえば椅子とは何であろうか。あるものが椅子として意味を持つのは、椅子の材質とか色とかによるのではない。椅子の材質が木であろうが鉄であろうがプラスティックであろうが、通常は固体であればなんでもいい。色も同様である。赤であろうが茶色であろうが何でもよい。形も同様である。このように、材質、色、形等で椅子を定義することは出来ない。あるものが椅子かどうかは、ひとえにそのものが椅子として機能するかどうかにかかっており、椅子として機能するかどうかは人間の身体に関わっている。(中略)すなわちわれわれの身体が、あるものを椅子として現出させるのである。われわれの身体が、路傍の木の切り株を椅子として現出させるのである。」(月本洋, 日本人の脳に主語はいらない, 2008)

「設計」の英語は「Design」である。設計が概念とその構造の定義であるという理解の一方で、Designは「カタチ」であり、意味に先行するものとして立ち現れる。意味が先かカタチが先か。二つの間に「身体」を入れると、身体がカタチと意味とを架橋することになる。
カタチが身体からの要求で意味として出現するのであれば、設計をさせているのは、我々の身体、もしくは身体性なのかもしれない。

 

yasushi_tanaka

有限会社ケイプラス・ソリューションズ代表,東京工業大学 特任准教授,大阪芸術大学 客員教授,奈良先端科学技術大学院大学 非常勤講師,博士(工学),CMM正式リードアセッサー(非更新 笑)

Facebook Twitter