消費者マインドのcommon sense化と視野狭窄

バブル崩壊後の失われた10年から今日まで、日本で何が起こってきたかを振り返ると、新自由主義のトリクルダウン理論と、それがねじれた形で表出した消費者マインドの定着がある。

「消費者マインド」とは、要するに「最小限のコストで高い価値のものを手に入れることが社会的な成功である」ということである。一方で、トリクルダウン理論(先富論)は、富める者が富めば、貧しい者にも自然に富が浸透するということである。しかし、この理論の落とし穴は、(端から見たら)富んでいる人が「自分は、まだ富んでいない。自分は、もっと多くを手に入れるに足る者である」と思ったとたんに、富が配分されなくなることである。この、「もっと多くを手に入れるに足る者」という考えかたと、「最小限のコストで高い価値のものを手に入れる」という考えかたが、一方は経済的上位の人たちから、そしてももう一方は下から浸透し、それらが反発せずに親和した状態が今日の日本のcommon senseとして深く定着しているように思える。

小泉政権の2001年~2006年は、まさしく、このトリクルダウン(そしてその落とし穴の考えかた:私はもっともらえる人だ)が日本中に浸透していった年である。この期間に何が起こったかというと、ユニクロの低迷からの回復(2005)、ライブドア事件(2005)、そして中田英寿が現役引退をし、”自分探し”をはじめたのが2006年である。

中田英寿の”自分探し”というのは、要するに「私はもっともらえる人だ」という考えかたの典型である。自分の成長に視点があるのではなく、”もっともらえる自分”というものがすでにあって、それは変わらない存在であり、その上で価値のあるものや社会的な状態(ステータス)を手に入れることが、自分という存在にとって最も興味のあることであるという考えかたである。

今日のビジネス界に目を向けると、”もっともらえる自分”なので、経営責任を取らないことに罪悪感を感じない経営者が増え、新しい市場を創造するはずのベンチャー魂が、うまくコストをかけずに(つまり、できるだけ努力をしないで)儲けるという思想の人たちの集まりなってしまっているように思える。

小泉内閣後の自民党のドタバタのあと、民主党政権に変わって社会的な価値観も変わるのかと期待していたが、消費者マインドの慣性は思いのほか強く、逆に、より深まり、おそらく悪化してきている。そしてさらに、震災による原子力発電所事故のあとの「けじめって、つけなくてもいいのね」感が、それに拍車をかけているように思える。
驚くことは、大学での多くの学生の質問が「その授業は就職に役に立ちますか?」であり、いかに少ない努力で就職に役に立つ授業をとるかに関して、まさしく、ディスカウントショップでの買い物と同じ心理で”学ぶこと”を選んでいることである。

日本社会全体(もしかすると、グローバリゼーションを標榜する国全体が)が消費者心理に陥り、”努力しないで値打ちのあるものを手に入れることが社会的に成功すること”という考え方に染まっているように思えてならない。つまり、短期視点、部分最適という狭い視点に陥ってしまい、市民としての成熟度が極端に低下しているように思える。

どうしてそのような心理に陥ってしまうのか。チンパンジーの研究の第一人者であるジェーン・グドールの逸話(エサを与えられたサル)を思い出した(近日中にアップ予定です)。

 

yasushi_tanaka

有限会社ケイプラス・ソリューションズ代表,東京工業大学 特任准教授,大阪芸術大学 客員教授,奈良先端科学技術大学院大学 非常勤講師,博士(工学),CMM正式リードアセッサー(非更新 笑)

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